◆名画をゆるく模写 『フェルナンド・サーカスにて』 アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 『2022年ゆる模写カレンダー』10月

名画をゆるく模写してみた

『2022年ゆる模写カレンダー』 10月

『フェルナンド・サーカスにて』

原作者 アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

制作  1888年

所蔵  アメリカ、シカゴ美術館

とにかく線がカッコいい!驚異的な描写センス

原作者であるロートレック、人物の描き方がとってもカッコいい。

学生時代、クロッキーというモデルを素早く描きとめる授業がありました。
いつも
「ロートレックみたいに描けたらカッコいいのになあ」
と 憧れていました。

「今さらロートレック?」

と 思われるかもしれません。
でも、時間制限付きのなか、鉛筆で目の前のものをひとつでも、うんうん唸って描いたことのある人ならわかってくれるはずです。
ロートレックの「驚異的な描写センスの良さ」を。

何が描かれている?

『フェルナンド・サーカスにて』は、ロートレックが初めてサーカスを題材にして描いた作品。
作品画面の左上、足しか見えていませんが、台に乗った演者がフープを掲げています。
いままさに、その輪の中へ飛び込むために、女性の曲馬師が馬を走らせている場面です。
観客や演者の大胆に途切れる描かれ方は、日本の浮世絵の影響がみてとれます。

当時のパリはサーカスが大流行。
ロートレックは幼いころから何度もサーカスに連れて行ってもらったそうです。

フェルナンド・サーカスは1875年に創設。
良い馬や曲芸師たちが集められ、モンマルトルではたいへん人気のある呼びものでした。
フェルナンド・サーカスはのちに名前を変えながらも、20世紀初めにはいろいろな画家たちのたまり場になっていきます。
あのピカソも、ここのサーカスがお気に入りだったとか。

裕福な家系と、少年時代のつらいできごと

何度もサーカスに連れて行ってもらったということは、ロートレックん家って、結構裕福だったのかしら?
と、彼のプロフィールを見たら…

「結構裕福」、どころではありませんでした。
彼はれっきとした名門貴族ロートレック伯爵家の長男坊。
…フルネームのなかにある「ド」は本当に貴族階級をしめす接頭辞だったのですね。


ところが、なにひとつ不自由なく暮らしていけるはずのロートレックに、不幸が襲います。

13歳のとき、椅子から立ち上がろうとして転んだことが原因で左脚を骨折。
翌年には、同じようなささやかな事故で右脚も折ってしまいます。
結果、両足の発育が止まってしまい、杖なしでは歩けない体になってしまいました。

もともとロートレックは10歳ごろから背骨の痛みに悩まされていました。
奇病の原因は、当時の貴族家系の血族結婚(近親者同士で婚姻を重ねること)によるものだそうです。

享年36歳 彼の残したアートワーク

ロートレックに起こった病や事故により、両親は
「貴族としての道は向いてないかも」
と考え、彼に絵画の道を進めます。
進めるだけでなくて、当時最高の指導者のもとで学ばせようと環境を整えました。
このあたりは、「すごいな」と思うのですが。

これをきっかけに彼のモンマルトルでの画家生活が始まるわけです。
とにかく実家が太いのだ(言いかた…)から、
仕送りには困らず、
描いた絵は売れても売れなくても全然問題ない!
という環境だったようです。

とはいえ、
油彩画を700点以上、水彩画が270点以上、版画・ポスターが360点以上、デッサンが約5000点…。
彼の残したアートワークの点数を見ると、仕事に対する熱心さが伝わってきます。

それなのに、なんで36歳で亡くなっちゃうんだ、と嘆きたくなります。
(早世の原因は放蕩によるお酒。)
彼のまなざしでとらえたパリや世界を描いた作品を、たくさん見たかったです。

ロートレックをとりあげた展覧会、何年かおきに日本のどこかで必ず開かれているので会いに行きます。

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