◇第2部 ねえ、これ、どこのだれに言えばいいの?-本来どう対応すべきだったのか-
価値観の転換と、身を守るための考え方

違和感は、最初からあった
第1部を振り返ると、違和感は初期段階ですでにあった。
- 距離が近い
- 私的な質問が多い
- 名前や立場を明かさず、こちらの情報だけを引き出そうとする
どれも一つひとつは小さく、「ちょっと馴れ馴れしい」「展示ではよくあること」と片付けがちだった。
しかし積み重なることで、確実に心身を削っていくものだった。

年齢や性別、肩書は、免罪符にならない
今回遭遇したケースでは年配男性が多かった。
しかし本質は「何者でもない、どこにでもいる人」である。
女性の場合は最初、上品で親切に近づいてくるが、次第に発言の端々にノイズが混じることもある。
二人三人で連れだって来て、所属団体や師匠の名前をちらつかせ、こちらの立場を測るような振る舞いをする場合もある。
社会的信頼度は私なぞよりもあるでしょうに…と思われる人も混じっているのが切ない。
なんにせよ、年齢や性別に関わらず、こちらの時間や尊厳を一方的に消費する行為は許されない。
その事実に、もっと早く気づいてよかったはずだった。

年代ごとの「思い込み」
対応が遅れた理由を考えてみると、その時々の自分の年齢や価値観も大きく影響していたように思う。
対応が遅れた背景には、自分の年齢や価値観も影響していた。
- 20代:年上の話は何が何でも聞くべき。不快でも我慢が礼儀だと思っていた。この先に作品の売り上げがあるかもという淡い期待もあった。
- 30代:声を上げると「自意識過剰」「こちらに非がある」と思われる恐れがあった。
- 40代:しばらく話を聞くべきかと考えつつ、衝動的に相手の名前を尋ねるなど極端な行動に出そうになることもあった。
どの年代でも、自分の感覚より、目先の作品売却、相手や周囲の目を気にしていたように思う。

本来、取るべきだった対応
今なら、はっきり言える。
まず、一人で抱えない。
展示の場で起きた違和感は、個人の問題ではなく、環境の問題でもある。
共同参加者や主催者、ギャラリーに早めに共有したほうがいい。
次に、記録を取ること。
日時、内容、頻度。
感情を記憶にとどめるのではなく事実として記録することで、「気のせいではない」と、自分自身を支えられる。
そして、線を引く言葉を持つこと。
「展示中なので、個人的なお話はできません」
「この場では対応できません」
短く、淡々と、説明を足さない。
それだけでも、状況は変えられたはずだ。
「我慢」は美徳ではない
以前は、来場者を不快にさせないことや波風を立てないことが当然だった。
しかし、展示は作家がすべてを差し出す場ではない。
不快な行為から距離を取ることは、作品や展示を守る行為である。
今後気を付けたいこと
- 在廊の頻度や役割を事前に決める
- 私的な情報を安易に渡さない
- 違和感を「気のせい」にしない
対応がうまくできず悔しい思いをすることは今もある。
だからこそ、自分の感覚を信用することを忘れないようにしている。

相談は告発ではない
頼る先は意外と多い。
- ギャラリーや施設のスタッフ
- 展示の主催者や共同出展者
- 文化芸術関連の相談窓口、場合によっては警察(#9110)※
※相談窓口や警察(#9110)について。いきなりそこへ駆け込むというよりは、自分やギャラリーと共有した記録を持ちこみ、窓口や警察側にも記録として残してもらう形になると思う…また、別の機会があれば補足させてもらう。
「大ごとにしたくない」という気持ちで相談を遅らせる必要はない。
相談は、自分を守る正当な行為だ。
この経験を通して、私はようやく
「展示を続けるためには、作品だけでなく自分自身も守らなければならない」
という当たり前の事実を、実感として理解した。
次回は、
・なあなあにしてはいけないこと、
・地方で体制が整っていない施設で展示を行う場合の現実、
・そしていわゆる「困った人」への具体的な対応
について共有していきたい。〈つづく〉






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