◆【2021・セルフインタビュー】作家が記録 1
自作自演の対談記録とは
2019年3月、静岡市「金座ボタニカ」アートスペースで個展を開催の折、オープニング・トークにてデザイナーの利根川氏と対談をした。
その時の『発注のなしアル』というタイトルからの対談をきっかけに、自身の制作に関わる色々な事について、自作自演の対談記録を、今も書き続けている。
質問する側も、される側も、自分自身という聴こえはシュールながら、真面目にここ2年間をふり返っている。
今回は、2021年冬、都内「OギャラリーUP.s」での個展を目前に、自身の過ごした2年間を改めて振り返るー。〈全4回〉
《2020ー2021をふり返って見えてきたこと》
「自分に価値というものがあったのか」と、気づいた年
-このコロナ禍において、制作活動のことで感じていることはなんですか?
-身近なところでは、毎年参加していた公募展が中止になったり、自由気ままに県内外の美術館やギャラリーへ行けなくなったのは悲しかったです。
心の支えが無理やり奪われた気持ちです。
「自分に価値というものがあったのか」と、大袈裟ですが自覚させられる出来事でした。
自分の住んでいる地域では、活動内容や、規模の大きさに関わらず、文化施設や芸術家たちが、どれだけ守ってもらえているのかという不安も感じていました。
文化庁への補助申請のことも、偶然Twitterで見知らぬ人のツイートで知りましたし…。
情報収集でうんざりしたこと、不安になったことは忘れないと思います。
申請書類の作成には難儀しましたが、いままでの制作活動を「仕事」として自分に再度自覚させるためにも必要なことだったと思います。
自分の声を、届けることへの必要性。
今後また、こういうことが起こらないとも限りませんものね。
生活のことは、以前の対談でも話しましたが、子どものころは体が弱くてあまり外へは出してもらえませんでした。
必然的に、外出の機会を自由に得られず家で過ごすことが多かったので、緊急事態には慣れているというか…
「無いなら、無いなりに」過ごせます。
ですが今回は、最初からあきらめて我慢するというのとは、違うと思いました。
「これをつくりたい」という小さな声が、はっきりと聴こえる
-この2年において、制作に対してなにか心境の変化はありましたか?
-それが、制作に対しては、ほとんどないといってよいでしょう。
もちろん、ずっとハッピーでいられたわけではないです。
制作のためのお金がどんどん足りなくなったり、他の仕事を辞めたり、などの経験をしました。
それでも、制作のペースは特に変わりませんでした。
-それでも、何かしら作風に影響が見られるのではないですか?
-扱うモチーフの変化については、特にないと自分では思っています。
故郷の湖をイメージする抽象表現や、物語の挿絵のような具象作品など、変わらないペースで制作をつづけることができました。
コロナ禍だからといって、そのために特定のモチーフを選ぶことはありません。
必要以上に癒しや団結など、気持ちの鼓舞を誘うこと、それを狙いとする作品ばかりでは、私はちょっと息苦しくなってしまいます。
それは本来、芸術・アート・作り手が生み出す力ではないと思うからです。
-でも中には、今こそ、この作品がピタリとあてはまる!という作品もありますよね?
-それは、おそらく当時において、作り手がその時精一杯の力で産み落としたものだからと言えます。
そういうところは、過去の作品から学ぶことが多いです。
-コロナ禍において、自分のなかで「パラダイムシフト」を感じますか?
-価値観が転換する、と言えるほど変わらなかったと思います。
強いて言うなら、制作や発表に対して自分の小さくて控えめだった声がはっきり聴こえるようになっただけ。
シンプルな意思表示を求められる中でも、わたしたちの心は揺らいで変化し続けますよね。
自分の気持ちを掬い上げること。
私にとって、とても難しいことでした。
次回【2022・セルフインタビュー】作家が記録 2 「いつもどおりが、いつも難しい。」
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『須藤萌子 版画とドローイング』
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