◆カマキリとわたし
カマキリを借りてきた
なんだか無性に生きものを観察してスケッチしたくなった日
「カマキリをモチーフにしたいなあ…」
とつぶやいて
「カマキリ? あるよ。」
と、スッと虫籠ごと貸してくれた、行きつけのBARのマスター…
じゃなくて、友人とその息子さん達。
ありがとう。
「生き餌も入れておいたから~」
と、一緒にバッタ(大中小、3匹)も入れてくれた。
私は生き餌としてのバッタと、カマキリとの距離感を初めて観察することになった。
じっと息をひそめて見ると、バッタが草を咀嚼(そしゃく)する音が聞こえた気がした。
もう少し集中すれば良かったのだけど、水を飲んだりスマホを見たりスケッチしたりする自分の出す音がとにかく大きく、断念…。
こらえ性なくなったなぁ。
しばらくして…。
お風呂で席を外した間に、色のくすんだ1番大きいバッタが捕まっていた。
呆然と最期まで見てしまう。
跡形もない。
2匹目は、気づいて見たときには、既に後ろ足が1本無い状態だった。
しかし、カマキリの足元にいても悪戯(いたずら)に狩られる事はなく、かごの中はしばらく静かだ。
翌朝。
5本足のバッタは、居なくなっていた…。
虫かごの中の掃除と、バッタの餌となる新しい葉っぱを探しに、公園へ行く。
乾燥して固くなった草をバッタは食べない。
あと、カタバミのような丸っぽい形の葉より、細長くタテに繊維がはしっている葉の方が囓り(かじり)やすそうである。
葉を入れ替えた時、生き残っていたのは1番小さくて余り動かないバッタであった。
人生(野生?)の縮図を見た気がした。
バッタの咀嚼音をきっかけに、階段を下りる足音、ドアの開閉、着がえ、入浴…何かするときに自分が出す音って、うるさいものだなと思った。
危ない、狩られる。
気をつけよう。
モデルの鏡
長い間、同じポーズで動かず、モデルの鏡と言うべきカマキリ。
色々な角度からスケッチができた。
草を食む(はむ)バッタが至近距離にいても、いたずらには狩らないカマキリの動きを見守る。
見守りすぎて、傍に置いた飲み物の中の氷が溶け、ぱきんと鳴る音が妙に大きく聞こえ、ビクッとなる。
前日に録画してあった「ジュラシックパーク」を見たせいか、就寝直前までカマキリを入れたケースを息をひそめて何度も確認してしまう。
慣れてきたカマキリとの生活
3日目。
カマキリの仕草、なかなかかわいいかもしれない。
ふいに首を傾げたり、手足?をつかって丁寧に身繕いしていたり、構えるときのポーズなど、どこか猫のようだ。
あとは、ニャーと鳴けば、ほぼ猫かもしれない。(嘘です)
少し歩み寄れた気がしたけれど、スケッチが終わった後、すみやかにお返しした。
しばらくすると、また図鑑で、昆虫が並んでいるページをこわごわと触る自分に戻ってしまうのかな。
時々首だけ動かして、5本足のバッタを視界に捕らえていたカマキリを思い出し、版画作品にした。
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こちらもご覧ください。
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