◆「ドローイング」美術になじみがある人が使うイメージがあるけれど結局どんな作品のことをいうの?
オンライン展 ドローイング作品を制作して思ったこと
2021年3月6日㈯から4月9日㈮まで開催のオンライン展。
メインの銅版画のほかに、ドローイング作品も数点出品している。
この「ドローイング」って言葉、使ってしまうけど。
結局どういう作品のことを言うのだろう、って思いません?
制作や鑑賞の年数を重ねていくうちに、あらためて聞けない気分になっていません?
わたしは一時期使うたびに
この呼び方で合ってるのかなー?
と、冷や冷やしていたことがあった。
学生の頃、わたしは単純に
描き方や、使う画材によって呼び名が決まるのなら、
鉛筆やペンなどで線を引いて描く行為をdrawing-ドローイングで、
絵筆や刷毛など面で塗る行為をpainting-ペインティング、って分けていた。
そして、使い分けをする機会はあったのかというと、そんなことはほぼなくて
「picture‐絵です。」
で済ませていた。
謎の仕分け人との戦い
油断すると、頭の中で
では「ドローイング」に使うペンの幅が広かったら「ペインティング」になるのか?
描き方で決めるのなら、素早く描いたこれが作品か?
など、自分が制作したものを、どう呼び分けていくのかという謎の仕分け人が出てくるので危険である。
こうなったら詳しそうな人に聞くのも一手である。
聞くのにためらいはない。
問題は、誰に聞くか、である。
〈人物A〉「今さら?」
と、いうセリフの後にくる答えが納得できるかどうかもあやしい、とわたしは予想する。
〈人物B〉「気にしなさんな」
カッカッカ、と笑う人ほど、美術史を学んで細かい分類を知ってらっしゃる可能性があるとわたしは予想する。
そして、
聞かれると説明が長く面倒くさいって思われるのもナンだし、今忙しいからと自ら気配を消している場合がある。
聞く相手として、狙いを定めるなら〈人物B〉であるが、何せ捕まえるのが難しい。
〈人物A〉も「今さら?」と言いつつ手短に説明を終えて「あとは自分で調べなさいね!」と足早に去っていく可能性もなくはない。
学生時代に出会ううちは、授業料分は熱心に〈人物A〉〈人物B〉を共に捕獲しておこう。
社会に出ると「今さら?」と半笑いした後に、答えどころか自分の考えも言えない人にしか会えない状況だってあるのだ。
サンプルは多い方がいい。
そして、聞いた後どう調べるか。
聞いてばっかりだといかんなー、と本棚から美学辞典や、現代美術キーワード集などをうっかり手に取ろうものなら、頭の中の仕分け人とともに用語の森をさまようことになる。
長い美術の歴史の中で、名付けられた表現の呼び名たち。
謎の仕分け人と戦ってきた跡を見るのは、楽しい。
そしてますますわからなくなるのだ。
みせる側と、みる側には必要な名づけなのかも
じっくりとモチーフを観察したり、コンセプトを考えて丁寧に描かれたものを完成した「作品」だとする。
その「作品」のためにいくつか作られたもの、
イメージを素早く描きとめた作品未満のものをドローイングという人もいるけれど、
作品作りにこめた時間の長さや密度の濃さなんて関係ない、どれも魅力的な「作品」だよね。
と、いう見方が出てきてから、謎の仕分け人の影は、わたしのなかでだいぶ薄くなっていった。
わたしの場合、日々のイメージを描きとめたものを「ドローイング」と呼んで制作している。
完成させたい絵があって、その練習っていう気持ちで描いてはいない。
描きとめていった先に生まれるものも、あるのかもしれないけれど。
でもこのどう呼ぶか問題は結局、みせる側と、みる側には必要な名づけなのかもしれ。
たまに、美術博物館のキャプションに表示があると、親切だなって思うくらい。
制作する人は、日々のなかで口に出して
「よし、今日はドローイングして、明日はペインティングするぞ。」
なんていうセリフは言わない。
と思う。
たぶん。
須藤萌子の銅版画、ドローイング作品を紹介するサイトです。
こちらもご覧ください。
https://sudohoko2016.wixsite.com/sudohoko
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