◆須藤萌子の銅版画解説 『薊の家』 オンライン常設展-Square-にて展示中

2022年10月7日

『薊の家』
『薊の家』

好きなモチーフの話

薊(アザミ)にはなにかと縁がある…
と、勝手に思っている。


幼いころの夏に見た薊は、濃い緑の中で棘だらけの葉や茎に支えられて咲いていた。

ピンクがかった明るい紫色の花。
自分が持っていた、学校の図画工作で使う絵の具や、色鉛筆の箱には無い色に目を見張った。

大人になるにつれ、山や、土手の近くを散策する機会を失っていった私は、
ワクワクと絵具箱をのぞいていた立場から、絵の描き方を教える側に身を置いていた。

職場へ出入りしている花屋からもらったのだろうか。
「366日花カレンダー」なるものが、絵画クラスの壁に貼られていた。

自分の誕生日の花は、なんだろう?
とワクワクしながら探すと、薊であった。

花言葉は、
 「厳格」「独立」
と、厳つい。

「お堅いなあ~」と、がっかりしつつも印象に残っていた。

薊との縁は、忘れたころにやってくる

次の勤め先では、独特の空気感になんとなく馴染めなかった。
草むしりやごみ捨てと称し、たびたび施設の裏手に出ていた。
そんな時、地面の隅に薊が咲いているのを見て、
ぼんやりと「この職場には、もう長く居られないのかもなあ。」
と、爺むさくしんみりしたものだ。

薊に願掛けした覚えはないが、その後、その職場は運営体制が変わり、スタッフ全員が総入れ替えとなった。
その土地の出身でもなく、専門職として勤めていた私には、引き取り手というか、異動先が無いに等しかった。
考え抜いた末、勧められた異動先を辞退することに。

退職するまでは、
「これから、どうしようか」
と悶々とした日々が続いた。

転機を知らせる薊のトゲトゲ

その頃、大型の版画用プレス機を譲り受ける話が舞い込んだ。

もう開き直って、作家として制作を主軸にする生活へ舵を切ったほうがいいのではないか。

教える側、展示や担当作家をサポートをする側、どの勤め先でも得難いものを得てきた。

でも、この先、自分の制作ができなくなった時、
「私は、携わっている仕事や、他人のせいにする日がくるんじゃないか?」

そう思うようになってきた。


それからは、最後の仕事、引っ越し、引っ越し先にプレス機を運ぶ手続き、ハローワークへ行くなど、
顔から薊の棘が出ているんじゃないか、と思う日々がしばらく続いた。
(ただの肌荒れなのだが。)


新しい生活が落ち着いた頃、友人から手紙が届いた。

はがきの絵は、伊藤若冲の「薊」

これはもう、薊は私の守護者…守護草ではないか?
と、こじつけてしまいそうになった。

国の危機を救った守護者

自身の個展会期中に、お客様から教えていただいた薊にまつわる話が面白い。

その昔、薊はデンマークによる夜襲から国を守ったという逸話が、スコットランドにある。
デンマーク兵が、足元の暗い進軍中に薊を踏んで、棘の痛みに耐えきれずに叫んでしまい、夜襲の居場所がばれてしまったそうだ。
そのことから、薊はスコットランドを独立に導いた勝利の花となった。

スコットランドでは薊は国花で、王家の紋にも薊がモチーフに使われている。


すっごく痛かったんだな… というのと、
薊の繁殖力を思うと、
踏んで「痛ッ!!!」てなったのが、ひとりやふたりじゃないなこれ、と納得だった。

転機の傍らに、ひっそりと咲く花として

いくつかのきっかけが重なり、薊は私にとって大切なモチーフのひとつとなった。

私に変化への勇気をくれる植物。

これからも作品に取り入れて、形にしていきたい。

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