◆師走の罠

2021年2月24日

師走の渋滞
師走の罠とは…

師走の街をボンドカーで疾走

師走。
急いでいる。
令和にもなって2年もたつのに、人々の忙しさは減らない。
むしろ無駄に増えていっていないか?とさえ思う。

ふだん暦や季節など気にしないような人たち(失礼を承知で申し上げる)が、何故か12月だけは
「師走だから」
みたいな顔で、師走を過ごし、雰囲気的にも忙しそうである。
(実際忙しいのであろうが)

用事で久々に車を出し、車線変更しようものなら決死のおももちである。
ふだん譲ってくれそうなひとの車でさえ、距離の詰め方がプロだ。
なんのプロかといえば、
「右折レーンに巻き込まれたことに気づき、左車線へ這い出すために出したSOSともいえるウインカーを己の視野から消し去るプロ」である。

師走のこの時期だけ、私は
「ボンドカーに乗りたい」
と思う。
007、ジェームス・ボンドの愛車だ。
思いやりを忘れた後方の車や、前方の車に向かって
まきびしや、オイルや、大砲が出たらなと思う。
だが、昨今敵方が搭載しているドライブレコーダーの前に、ボンドは恐らく無力…。
右折車線へ巻き込まれる前の過去に、デロリアンで戻ったほうが賢明と言えよう。

そんな師走の罠に
「わたしだけは絶対ひっかからないぞ」
と斜にかまえ、今年はかなり前から用心していた。

大人でも転ぶのだ

ところで、この時期、わたしはよく怪我をする。
転ぶ程度であるが、大人になって転ぶというのはショックだ。

滑って転ぶ
自転車で転んだ時のイメージ図

以前、自転車で転んだことがある。
道路と歩道の縁石の段差を埋めるスロープ上で滑り、そこに居合わせた商店街の人の時を止めた。

もうすぐ昼時で、打ち水をしようと表に出ていた寿司屋の若大将らしき人が助け起こしてくれた。
かごから飛んだ唐揚げ弁当の包みが逆さまに落ちたことや、
「オトナなのに転んだ」
という気まずさに、お礼もそこそこ這いあがった。
「椅子あるから、うちで少し休んだら?」と言ってくれた隣並びの料理屋さんのご夫婦へも「大丈夫です」を繰りかえしながら、その場を猛スピードで退散した。

帰宅してから、真っ赤になった膝にくっついた厚手のタイツ生地を、泣きながら剥がし、血も涙も乾く間もなく弁当を食べた記憶がある。
(袋の口を閉めていたので、唐揚げ弁当は奇跡的に無事だった。)

繰り返す歴史

痛みに耐える
歴史はくりかえす…

あれから…
ようやく膝の傷も治りかけた1年後の師走、また転んだ。
脱衣所で滑ったのだ。
スリッパで床への踏ん張りがきかず、さらにスリッパの中のボア生地と靴下が滑ったのだった。

床へ強打したのは、以前転んで擦りむいた時と同じ側の膝である。
冷たい床の上で
永遠と思われるほどに長い間、祈りをささげている人
みたいになっていた。
服を着ていたのが不幸中の幸いで、今回は青アザで済んだ。

ともあれ、擦り傷や打ち身が師走の風物詩になってはたまらない。
膝だって流石に迷惑がっているし、無事だった側の膝も
「次はわたしの番じゃないだろうか」
と怯えている。

来年こそは、怪我のない師走を過ごしたい。

…よいお年をお迎えください。

作品ウェブサイト

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雑記

Posted by suho