◆師匠との3年間 その3『手』

2022年2月11日

絵の具のついた手は美術家の証(?)

絵具の付いた手

師匠の家には、いろいろなモノがあった。
木、ガラス、陶器、金属、石、紙、布、…材質はさまざまで、ひとつのジャンルにおさまらないモノたちだ。
雑貨ともいえるし、骨董ともいえる。

壊れモノを扱うとき、指輪や時計をはずすことは某漫画で知っていたので、(わざとらしいくらい)実践していた。
その日も華奢なモノから書籍にいたるまで、いろいろ見せてもらっていた。

さかむけ、ひび割れのイメージ

〈師匠〉「その手、どうした?」
〈わたし〉「あ、先日の制作で付いたの、まだとれないんです。」

その日の私の手は制作で使ったインクが、指や爪に入って染まってしまっていた。
しかしお風呂に入って、爪も切って、だいぶ薄くはなっていた。
触ったものに色がついたり傷がつくはずもない。
なにより絵の具のついた手は作家の証ではないか。
それが何か?くらいの顔を、私はしていたのだろう。

〈師匠〉 「いや、わかるけど。手と指先はよく手入れしとき。」
〈わたし〉「カサカサってことですか?」
〈師匠〉 「いや、それもだけど。
〈わたし〉「(それもなんだ…。)仕事してないって思われないですかね…。」
〈師匠〉 「ん?なんだそりゃ?」

まずは手の手入れから…

以前、ハンドクリームでしっとりした私の手の甲をみて
「きれいな手ね。家の仕事を全然してない手みたいね。」
と言われたことがあるので、と言うと、

ふむ…と少し考えたあとに、師匠は
〈師匠〉「今のお前さんの手を見て、この人は仕事してる、制作してるって思う人もいるかもしれん。」
と、置いたうえで、
〈師匠〉「ただ今後、お前さんが出会う先で、そう思ってくれない人もいるかもしれん。」
と、言った。

武器は、いつも手入れをしておく

繊細なものに触れる機会

絵の具の色が見える爪や手。
カサカサの指先。
汚れているわけじゃない。
わかっているけれど。

〈師匠〉「もしかしたら、行った先で『触らせてもらえないもん』があるかもよ。」

華奢なもの、やわらかいもの、武骨なもの。
見た目では、わからないもの。
そういうものに「触れる」機会に恵まれたとき、または相手に差し出すとき。

〈師匠〉「ワシが店主だったら、いいもんは引っ込めたままにしておくかもなー。」
〈わたし〉「はあ…。(確かに白い絹布とか、レースを出されても触れないかもな。)」
〈師匠〉「仕事や制作で(絵具が)つくのは、しゃーない。」

その手は制作で一番かかせない道具なのだから、ふかふかでつやつやにすることは、悪い事じゃない。
あとは…。
〈師匠〉「行った先で、いちばんいいもん出してもらって見たいやんか。」

この貪欲さというか、繊細さが混然一体となってるのが師匠なのだよなあ。

〈師匠〉「もちろん、その手、考え方をわかってくれる人たちとだけ接していられるなら別にいい。
     お前さんがこれから働く社会っていうのは、ちょっと難しいかもしれない。
     たぶん、そういう些細なことで突っついてくる者がたくさん出てくるぞ。」

だから…。
〈師匠〉「武器はいつも手入れしといて損はない。

この季節…自分の手を見ると、このやり取りを思い出す。

ケースから出してもらったものを、怖がらないためにも
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