◆師匠との3年間 はじまり

2022年2月11日

非常勤務職員として地方の市立文化施設に務めたことがある。
専門職での3年間、あっという間の出来事だった。
正直、「文化施設で働いていた」と履歴にするのは忍びないくらいだ。

非常職員というと、正規の職員の方よりも
  責任はない
  お給料は少ない
  時間的束縛はない(ようである
という「やりがいのある仕事と」いう一点突破のみで、後はないナイ尽くしの非情勤務だと思われてもしかたない。
でも、美術品や作家(存命でも亡くなられていても)を扱う責任は、
  正規職員と同等それ以上
だという重圧が毎日あった。

ここからは、今後「学芸員になりたい」と漠然と思っていらっしゃる方へのお役に立てれば…
という話の流れでは一切ない。残念ながら…

「仕事がうまくいかないとき、至らなくてツライとき、ある人に出会ってちょっぴり救われた」という話である。
たまたま、そのとき勤めていたのが文化施設だった、というだけ。

扱うもの、出会う人すべてが予想外過ぎて憂鬱になる

憂鬱について考える地獄

文化施設で働く前の話。

美術専攻で高校、大学と進学し、卒業後は制作を続けながら高校の美術講師をしていた。

「美術が続けられる幸せな家庭に育った」
「好きなものを仕事にできている」
と、いえば聞こえはいいのですが、
バッサリ言うと
世間を知らなすぎる…よく今まで生き残ってきたな
と、いったところ。

いままで周りの人は、どちらかといえば
美術に理解がある人、好きなひと」が多い環境だった。
学校という職場も独特で、校長先生や教頭先生以外
「ほぼ同僚」
という、長ーーーい横列社会。
だから新任でも、主任でも、講師でもお互い「先生」っていう立場で会話ができた。
垣根がほぼない。
みえてなかっただけかもしれないが。)
あとは、生徒さんも先生を「先生」って認識してくれていた

だから結局、その関係に甘えてしまっていた。
ほかの会社や企業へ就職している同期の社会人と比べると
立場や考え方の違う相手への対処
が、圧倒的に稚拙だったと思う。

迷えるにも程がある

気持ちを濁らせる

次の現場は文化施設といえども「役所の一角」、誰も(必要なこと以外)教えてくれない
当然のこと、わたし自身、何を教えてほしいのかわからなかった

文化施設に勤めている人は、みんな芸術が好きで、理解があって当然だ

と、思っていた。
いえ、まあ、実際に嫌いな人はいなかったと思う。
みんな、それぞれの温度があるだけ。
立場、考え方、見え方が、人の数だけ、職場にある。
でも、考え方の違いや温度差を感じたら、
こちらの対処を変える
という柔かさや、したたかさを持ち得ていなかった私は、すぐ人のせいにして失望しちゃうんですよね。

失望すると、人は気持ちを濁らせる

ピヨピヨが過ぎる

3年間お世話になる師との出会い

久しぶりに会った知人は、わたしをみるなり「うちへ来い」という。
引き合わされたのは、知人のお父様。

この後、
 「目がくぼんでるなあ。」
 「顔色もよくない。」
 「よく食べて、よく飲んでるって?とめどもなく腹にいれてるだけと違うか?」
と、指摘される。

この出会いで、わたしはなんとか持ち直し、失望せず、職場の環境が変わるまでの3年間、勤めることができた。

最初の道しるべを、ようやく見つけた感じだった。

作品ウェブサイト

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