◆制作のきっかけ

いつか訪れるかもしれない「ネタ切れ」を怖がらないために。
「描けなくなったらどうしよう」
と思ったことはありますか?
この場合は、描くためのアイデア、ネタが枯渇してしまったら、という意味です。
フィクションの世界で
真っ白な画用紙、または原稿用紙を前に、
「アイデアが浮かんでこない」
と作家が頭を抱える描写を子供のころから、幾度か見たことがあります。
髪を振り乱しながら、あまりいいとは言えない顔色で部屋に缶詰めになる、
作家が逃げ出さないようにその部屋のドアの前でアシスタントや担当が待つ、という描写を
笑いながら見ていたのですが、年を経るごとにだんだん笑えなくなってきました。
ドアはダメだ。窓から脱出だ。
と、逃亡の手助けを心の中でしてしまう。
実在作家のドキュメンタリーをみると、アイデアが浮かばないというより、頭の中のアイデアを
どうしたら自分以外の人たちに伝わるのか、を延々と苦しんで考えている様子でした。
ですので、俗にいう「ネタ切れ」というものは、作家ではなく受け取る側が作り出した呼称ではないか?
と思っています。
ネタ切れを恐れつつも捻りだすという行為は、まったくのゼロから新しく生み出すというよりも、
作家自身の今まで得た体験を丁寧に(執拗に?)探っていることなのではないでしょうか。
それでも苦しんでいることに変わりはないのですが。
友人からの手紙が視点を変えた出来事

きっかけは友人からの手紙でした。
体調を気遣ってくれたり、いまとりくんでいる作品のことだったりと
短くも、いつも温かい内容の手紙なのですが、その友人が送る手紙には時々デザインの
面白い切手が貼られています。

2枚の貝が描かれた切手。
そうそう。52円で葉書が送ることのできた時代もあったよね、としみじみ眺める。
眺めているうちに、「あれ?どこかで見たことがある」と家のなかを見てまわりました。
わたしが子供の頃、浜辺で拾った貝とそっくりでした。それも2枚とも。
手紙はここ1,2年のあいだに受け取ったもので、手元に同じような貝が
ある、なんてことは友人は知るはずもない。
こんな偶然、あるでしょうか。
あるかもしれない。
いや、ないだろう。
いますぐ伝えたい。
手紙じゃ待てない。
情緒もなにもあったものではないけれど、
思わず写真を添付してメールを送りました。
偶然だ、すごい、こんなことって、と騒ぐ私に、友人は素直に共感してくれましたが、
「切手に感動するなら、貝の下の一枚を見て欲しかったのだけど…。」
と一言。
もう一度よく見る。
エキスポ…。
1970年。あ。
この出来事のおかげで、貝を拾った幼年時代の自分とも再び巡り合うことができました。
急に、この貝が、制作のモチーフ、イメージの引き鉄に変わったのです。

わたしは「モチーフに使えるかもしれないから」と
こまごましたものを拾ったり、買ったりしてしまうのですが、そうやって連れ帰っても
棚に並べたところで満足してしまうことが度々ありました。
そうやって、ためこむばかりで眠りかけているあれこれ達。
「これにしたら?」
と、イメージを拾い上げてくれるのは、外側からなのかもしれません。
◇貝に興味のある方はこちら
不思議で美しい貝の図鑑
◇切手に興味のある方はこちら
世界珍品切手物語
須藤萌子の銅版画、ドローイング作品を紹介するサイトです。こちらもご覧ください。
『須藤萌子 版画とドローイング』
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