◆板谷波山の夢みたものー〈至福〉の近代日本陶芸ー

2021年2月24日

夢みるために、現実をみる

板谷波山の夢みたものー〈至福〉の近代日本陶芸ー
当時の図録。柔らかな色と線が印象的。

2014年に出光美術館でひらかれた陶芸展のはなし。

没後50年・大回顧 板谷波山の夢みたものー〈至福〉の近代日本陶芸ー
実はこれ、最初から行きたいという展覧会ではなかった。

板谷波山(いたや はざん)と読むことも知らなかった。

展覧会の題が漢字多いなあ。
回顧展ってもう、その作家は亡くなってる※ってこと?
没後50年ってことは、昔の人の陶芸ってこと?

何処に置くんだよっていう大きさの壺や皿に、

鳳凰が、どーん!
牡丹の花が、でーん!

みたいなやつ?
(ムカシノヒトのトウゲイへの偏見が惨すぎる。)

※回顧とは昔を客観的に顧みる、という意味だが、回顧展となると作家の生涯における、作品全体を紹介するという意味になり、当の作家本人は、故人になってらっしゃる場合が多い。
存命中に回顧展をされた作家さんもいた。

ともあれ、出張で上京する際
「ちょうど板谷波山展やってるから見に行くといいわよ」
と、祖母に教えてもらわなければ、きっと行かなかっただろう。

「息をのむ美しさ」という表現を使う日

気乗りしない・するというより「厳しい祖母に言われたから行く」という体で行ったこの展覧会。
慣れない出張先から帰る日、なんとなく打ち上げの余韻も抜けないまま展示室へ。
ひとめ観て、じぶんの目がキュッと見開くのがわかった。

こんな世界があったんだ。

後頭部をスパンと叩かれたような気持ち。
鼻から吸った息が、冷たいまま頭の方に流れていく。
低く喉が鳴る感じ。

息をのむ美しさ」という表現を使う場面ってあるんだなあ…
とその時を思い返す。

まろやかな色と、気持ちの良い線で配置された動物や植物たち。
予想通り?鳳凰もいたのだが、
「こんな鳳凰に出会えたら素敵…幸せになるに違いない」
というヴィジュアルをもっていた。

受け入れてもらった、と勝手に思い込んで、ぐいぐい見て回る。

床の間もないのに、オウムの香合をみて
「か、かわいい…欲しい…」とつぶやいてしまったり。

紫陽花や桃が描かれた壺をみて
「(描き始まりは)どうなってるの?」とケースを回り込んでみたり。。。

たっぷり、夢見るような時間だった。

波山のすごさって、もしかしたらこれ?

そんなわけで、気乗りしないスタートから一転して、ホクホクと図録を買って、帰りの電車で開いてニヤニヤするという、贅沢な時間を過ごしたわけだが…

板谷波山のすごさって、なんだろう。
ふと考えたときに、展示室の一角にあったおびただしい数の植物デッサン、素描、古典の模写、デザイン画を思い出した。
(たぶん展示してあったのは、ごく一部)

息をのむ美しさ、夢見るひととき、を生み出すための「素」を見た気がする。

現実…リアルにとことん向き合って、観察して、自分がつかまえた美しい形を抽出していく。
でも、陶芸のこと、近代陶芸の歴史をなんにも知らない若者が見ても「欲しい」「カワイイ・カッコいい」と言わせてしまう不思議な力。
没後50年、全く古くない。
企画の題に〈至福〉と付く、納得な展覧会だった。

◇図録の中のお気に入り◇

彩磁玉葱形花瓶(さいじ たまねぎがた かびん)
指でつまめばめくれそうな、たまねぎの薄い皮部分の形と、ころんとしたサイズの中に、濁らず配されているピンクとグリーンの色が素敵な花瓶。
明治30年代 高7.6㎝

白磁鳩杖頭(はくじ はと じょうとう)
杖頭—杖の持ち手部分として作られた、とろりとした白い磁器の鳩。
「鳩は、ものを食べてもむせない」という習性から縁起の良いものとして、高齢の方へ杖を贈る故事にならって、波山が故郷の人たちのために作ったそうだ。
昭和時代前期 長7.2㎝

出光美術館
http://idemitsu-museum.or.jp/
現在休館中。2021年4月より開館。

作品ウェブサイト

須藤萌子の銅版画、ドローイング作品、ワークショップイベントを紹介するサイトです。
こちらもご覧ください。
https://sudohoko2016.wixsite.com/sudohoko

美術館

Posted by suho