◇つくることの喜びを、もっと大切にするために

オリジナルって、なに?

「オリジナル」という言葉の重さ


オリジナルとは?


近年、「オリジナル」「盗作」という相反する言葉を、頻繁に目にするようになりました。

その言葉は主に、SNSをはじめとしたネットの海から押し寄せてきます。

生成AIやデジタル技術の進展によって、創作物の成立過程が見えにくくなり、
 「これは誰の仕事なのか」
 「どこまでが創作なのか」
が強く問われる場面が増えました。

ある作品が称賛される一方で、
別の場所では「オリジナルではない」と断じられる。

そうした光景を目にするうちに、遅まきながら「オリジナル」について考えるようになりました。

私自身、創作したものを発表する立場として、コンクールへ出展したり、
作品に値段をつけて個展を開いています。

当然、「オリジナル」という言葉には敏感です。

また、数年前から大人向けの造形教室をはじめるなかで、
参加者さんへ
「創作するときのオリジナル性」について、どうやって伝えようか
と、頭を悩ませるようになりました。

「著作権」という法律の言葉をちらつかせて、必要以上に怖がらせたくはありません。

同時に、お手本を「まねる」「なぞる」ことは、創作において決して悪いことではないとも思っています。


創作の出発点としての「まねる」こと

ジビエ工房へ取材した動物の骨をスケッチし写し取る

創作の入り口において、「まねる」「なぞる」ことは、ごく自然な行為です。

私自身も、これまで数多くの作品や作家の仕事に影響を受けてきましたし、
技法や構図、素材の扱い方を学ぶために、意識的に手を動かしてきました。

とくに造形や版画のような分野では、
手順や感覚を身体に覚えさせるために、先人の方法をなぞることは避けて通れません。

それは創作以前の「準備運動」のようなものであり、
恥じることでも、隠すことでもないと考えています。

どこからが「オリジナル」なのか

では、どこからが「オリジナル」なのでしょうか?

線や形でしょうか、
あつかうテーマやモチーフでしょうか、
それとも、誰も見たことのない新しさでしょうか。

私は、「完全に新しいもの」だけがオリジナルだとは思っていません。

むしろ、
自分が何から影響を受けたか
そこから何を選び、何を残し、何を捨てたのか

その自問自答の積み重ねこそが、オリジナリティの正体ではないかと感じています。

同じ題材を扱っても、同じ技法を使っても、
出来上がる作品は、人によって異なります。

その差は、技術以上に、その人がこれまで見てきたもの、
考えてきたこと、手を止めた瞬間の迷いに現れるように思うのです。

「発表する」という行為が生む責任

生徒さんの中には、完成した作品を展示したり、
公募展に出したり、SNSで発表したりする機会を持つ方もいます。

そのとき私は、「上手にできているか」よりも、

「これは自分の作品だと胸を張って言えるか」を考えてほしいと思っています。

誰かの作品を強く参照している場合、
 どこに影響を受けたのか
 どこからが自分の判断なのか
を、自分の中で自分自身へ説明できること。
(聞かれないうちから、すべてを口頭で説明する必要はありませんし、聞かれても答える必要もないのです。)

それができてはじめて、
発表するという行為に責任が生まれるのではないでしょうか。

これは、法律としての著作権を気にする以前に、創作に向き合う姿勢の問題だと感じています。

法律にひっかかるから、
誰かに指摘されるから、
と、冗談めかした建前で創作の手を止めることは簡単です。

でも、それによって作り手の内側にある創造の心を曇らせたくはないのです。

創作の喜びは「自分で選び、決める」ところにある

創作の喜びは、完成した作品が評価されることだけではありません。

「この形にする」
「ここで終わらせる」
「これ以上は足さない」
そうした小さな決断を、自分の感覚で重ねていく過程そのものにあると思います。

誰かに正解を確認したり、誰かの成功だけをなぞっているあいだは、
安心はあっても、深い喜びにはなかなか辿り着けません。

不安な中で、自分で選び取った結果が作品として生まれたとき、
はじめて「これは自分の作品だ」と実感できるのではないでしょうか。

制作

Posted by suho