◆【セルフインタビュー】作家が記録 2
講師の期間「美術の先生は暇じゃない」
ー学生時代を終えて、20代はどう過ごしていましたか?
ー高校の美術講師となって、油彩と版画を中心に教えていました。
講師時代は、正教員でなくても
「制作の片手間にやって、生徒さんをないがしろにしている。」
と思われたくなくて、肩をいからせて仕事をしていました。
美術の先生は暇なんかじゃないぞ、て。
直接、誰かに言われたわけでもないのに(笑)
高校美術は選択授業ですから、
「彼らが美術に触れる機会をつくるのは自分なんだ」
と張り切っていました。
生徒さんたちにとって、きっと暑苦しい存在だったろうなと。
傍から見ても、相当空回っていたと思います。
ナイーブな生徒さんに
「嗚呼、あの人なりに、やれることやってんだな」
と見抜かれていたような気がしますし。
勤めていた高校は少し特殊でした。
芸術科という、音楽・美術にそれぞれ特化した専攻クラスがあり、学ぶジャンルごとに先生が変わります。
音楽は、演奏する楽器ごとに先生がいて、生徒は専攻の教室へそれぞれ分かれて授業を受けます。
美術は、基礎デッサンに加え、日本画、デザイン、油絵、彫刻、染織と、クラスが分かれていて、専門に教えてくれる先生がいるのです。
その道の専門家が傍に何人も居て、リアルタイムに教えてくれます。
音大や美大の体験版みたいな毎日を過ごすことができるのです。
当時の教員は、美大や教育大卒、現役作家など、年齢、性別もバラバラ。
実に様々な人材が、美術準備室に詰まっていました。
教える立場としても、世代や専門の壁を超え、生徒さんたちへの関わり方や美術に対しての考えなどを話し合える環境は、とても贅沢だったと思います。
「今、○○美術館の企画展って、何やってる?」
「あの作家の作品、良かったよ。」
なんて、日常で話せる職場、なかなかないですし。
自分の知らない美しいものが、まだたくさんある
ー30歳で転機が訪れましたね?
ーはい。美術講師を辞めて、地方の美術館学芸員に転職しました。
美術館学芸員は短い勤務期間でしたが、濃い日々でした。
展示担当は、刀装具、煙草道具、金工というジャンルです。
正直、自分が今まで勉強したことが生かせる場面があるのだろうか、と途方にくれました。
展示作品ひとつをとっても、鑑賞者は何を見たいのか、作家は何を見てほしいのか、それらに対して美術館はどう答えたら。
様々な視点から考えることができたのは大変勉強になりました。
時々、収蔵庫で刀鍔の細工を間近で見ながら
「日本には、自分の知らない美しいものがたくさんある」
そして
「自分はいったい何を作っているんだろう。」
と打ちのめされていました。
学芸員勤務は、ひょんなことから終わりを告げるのですが、勤務最後の1年は所蔵品の他、現代アートや漫画の原画展示に関わる機会があり、さらに濃い日々を過ごしました。
そして、この一地方の美術館にも、文化施設や商店街をまきこんだ「アートで町おこし」の流れが入ってきました。
地元地域の人々、美術館、所蔵品とその寄贈者、学芸員、存命作家、それぞれがどう関わっていくのかを考えさせられました。
これは、数年でどうにかなる問題ではない気がしました。
美術館へ行くと企画・展示に大勢の人が関わっていることを感じます。
…何も知らずに楽しめていた頃が懐かしいです。
美術作品、アート、展示について気になった方はこちら
・美術手帖 2021年 10月号 [雑誌]
須藤萌子の銅版画、ドローイング作品を紹介するサイトです。
こちらもご覧ください。
https://sudohoko2016.wixsite.com/sudohoko
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