◆『雨過天晴』ーうかてんせい
背徳感の味わい
10年以上も前のこと。
社会に出て働き、お給料をもらう身になった頃。
「ひとりでカフェに行き、こっそり好きなものを食べる」
という贅沢を知ってしまった。
この贅沢というか、背徳感がたまらない。
なぜ、背徳感という言葉が出てきたのか。
当時、大好きだった大叔母をはじめとする身近な大人たちは、旅先の土産やおやつを独り占めすることはなかった。
今でいう、シェアというのだろうか。
平等・公平に目の前の子を可愛がる、それにも似ている。
それと同時に、その大人たちは
「美味しいものは少人数で」
という、秘密もたしなむ一派でもあった。
その際、後日談で「こんなにおいしいものをこの人と食べた」と言いふらすのは、ルール違反。
また、「見せつけるように食べる」のも、一発退場であった。
それは、カッチョイイ紳士淑女の振る舞いではない。
きっとあの大人たちも、子どもたちの知らぬところで「ウフフな味」をシェアしていたのだろう。
『雨過天晴』という名のカフェ
そんな頃、友人に『雨過天晴』というカフェを教えてもらった。
カフェなのに四文字熟語のような珍しい店名は、とても印象的だった。
その上、美味しいコーヒーと、ナッツたっぷりのタルト。
客を静かに放っておいてくれるお店の方たち。
とても居心地がいい。
家で物知りの祖母に
〈わたし〉「雨過天晴って言葉知ってる?」
と聞くと
〈祖母〉「あら、なんだか学のある言葉を聞いちゃったわ。雨過天晴、雲破るるところ、ね。」
〈わたし〉「え! 続きあるんだ?」
「言うは易し、成は難し」 いいものをつくるって、難しい
古代中国の皇帝が、その土地の窯で作る磁器の色を「こんな色でお願いする」という依頼内容が
「雨過天晴雲破処」—うかてんせい くもやぶるるところ
だったそうだ。
「雨上がりに雲間からのぞく空の青」という色。
他でもない、皇帝の依頼である。
受けた作り手たちは、「なんとかせねば」と、命を懸けたに違いない。
現代で、こんな色指定を言おうものなら
「もう少し具体的に言ってもらってもいいですか?」
と、にべもなく返されそうである。
でも…
なんだろう…
夢がある。
挑みがいがありそう。
雨過天晴とは、
「辛いことがあった後、物事は好転する」
という意味だそうだ。
けれど、私は
「注文する側も受ける側も大変だけど、いいモノ絶対できるといいな」
の意味に近い気がする。
雨上がりに雲間から見える、淡く生まれたばかりのような瑞々しい青を見ると、この言葉を思い出す。
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