◆『言葉なんかおぼえるんじゃなかった』 田村隆一(語り) ちくま文庫
知らない人だなと思っていても、どこかで繋がる感覚
第一印象は
「知らない人だなー。」でした。
正直に言うと、詩人・田村隆一という名前を見てもピンとこなかった。
『言葉なんかおぼえるんじゃなかった』を手にしたきっかけは、
出かけた先の本屋さんの企画展で、田村さんを取り上げていたから。
壁に掛けられていた田村さんご本人や、仕事場の写真を見て
「なんだか、きょうびお目にかかることのない、洒落たおじさまだなー。」と感じた。
ふむふむと見て回る。
どんな人なのだろう。
もしかして、田村さんを知らない人のほうが、珍しいのだろうか。
変な方向へ心配している私。
作家紹介の一文を読んで、一変した。
「アガサ・クリスティ―の作品などミステリーの翻訳も手掛けた」
知ってる!
わたし、この人知ってた。
10代の頃、夢中で読んでいだクリスティ作品。
学校の休み時間が短くて、キリの悪いところで始業チャイムが鳴って、授業中も気になって仕方がなかった推理の行く末。
お小遣いで1冊ずつ集めていたっけ。
田村さんの訳だったのか(もしれない?)。
田村さんが、仕事場の書斎と一緒に写っている写真を、もう一度見る。
モノクロームで、ぼんやりしているけれど、背後の本棚に並んでいるあの文庫本たちの背表紙は、もしかしたら…。
知らなかった人が、急に身近な存在になった。
なんだか楽しくなってきた。
連れ帰った1冊から、オシャレだった親戚を思い出す
わたしの苦行のひとつに、知らないおじさん(おばさん)の話を聞くこと、がある。
なんなら知ってるおじさん(おばさん)の話を聞くことのほうがきつい場合だってある。
そういう人たちの、姿かたちや年齢などの具体的な特徴は、これといってない。
だけど、先生とか、親戚とか、上司とか、そんな名前のおかげで、何とか聞く姿勢を保てたぞ、という感じ。
「ごめんね。こんなこと言っても、あなたは若いから分かんないと思うけど。」
て、言いながら、まだ話す。
こちらが聞いてなかろうがお構いなしにガンガン話す人のほうが、マシかもしれない。
今後、自分に関わる方へは絶対こんな苦行はさせまい、と誓う。
この田村さんの語りはというと…。
辛くて、お洒落で、面白い。
読めてしまう。
「当たり前だろ、言葉を扱うプロなんだから。」というツッコミは置いておいて。
「今はこういう考え方はちょっと…。」となるところ、田村さんの話だと聴いてしまう。
相手へ共感を求めない。強要しない。
余白というか、余裕をもって、言葉を発せる人だ。
この本を読みながら、私は親戚の叔祖父さん(祖父の弟)を思い出していた。
そのおじさんは、当時にしてはちょっとハイカラで、パイプをふかしていた。
大きな声も出さず、子供だった私に対して難しいことも、赤ちゃん言葉も使わず、静かでゆっくりと話していた。
言葉遣いがきれいだったっけ。
自分の祖父くらいの年齢の人との会話。
ここ10年くらいないかもしれない。
思いもかけず、ちょっと懐かしくなってしまったのだった。
そうか。
苦行を強いる方の人って「余裕がない」のかも。
ああ、なんてこった。
そうなると私も苦行を誰かに強いている可能性が高い。
須藤萌子の銅版画、ドローイング作品を紹介するサイトです。
こちらもご覧ください。
https://sudohoko2016.wixsite.com/sudohoko
この本が気になった方はこちら
言葉なんかおぼえるんじゃなかった: 詩人からの伝言 (ちくま文庫)
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